大阪地方裁判所 平成11年(ワ)4828号 判決 1999年9月21日
原告
配島孝之
被告
ニツセイ損害保険株式会社
主文
一 被告は、原告に対し、金一三五万円及びこれに対する平成一一年五月二五日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。
二 訴訟費用は、被告の負担とする。
三 この判決は、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一請求
主文同旨
第二事案の概要
本件事案は、被告との間に車両保険契約を締結していた原告が、平成一一年三月四日発生した交通事故による車両損害につき、同保険契約に基づき、被告に対し保険金を請求したのに対し、被告が原告には同保険約款第五章車両条項(以下、単に「車両条項」という。)第四条に該当する事由があるとして上記請求を拒絶したため、原告が本訴において、これを請求したものである。
一 争いのない事実
(一) 被告は、損害保険業等を業とする会社である。
(二) 原告は、被告との間で、車両保険契約を含む次の内容の自動車保険契約を締結した。
保険の種類 自家用自動車総合保険
証券番号 六〇四一〇四一五九九五
被保険車両 車名 ホンダ
型式 JB一
登録番号大阪五〇む五一八九
車台番号JB一―一〇〇二三一九
保険期間 平成一〇年一一月一六日午前八時から平成一一年一一月一六日午後四時まで
車両保険 保険金額一四〇万円(免責金額 事故一回目五万円、二回目以降一〇万円)
保険料 分割払い、一回分六七二〇円
(三) 被保険車両につき、次の内容の保険事故が発生した。
発生日時 平成一一年三月四日午前〇時五〇分ころ
発生場所 大阪府摂津市千里丘二丁目一三番二二号先路上
当事者 加害者 原告
被害者 訴外辻井善浩
事故態様 原告が東から西に向けて被保険車両を運転して、前記の事故発生場所の交差点に青信号で進入し、その後左折しようとしたが、曲がりきれず、交差点中央部分で東側に右折しようとして信号待ちしていた訴外辻井善浩運転に係る普通乗用自動車(大阪八八せ九二一二、以下「被害車両」という。)の正面部分に衝突し、被保険車両を損傷した。
(四) 被保険車両の損傷の修理代の見積りは、一七〇万円で、全損状態であるが、車両保険の保険金額が一四〇万円で、一回目の免責金額が五万円となっているので、請求金額は、一三五万円である。
二 争点
争点は、車両条項第四条の適否である。
(一) 被告の主張
車両条項第四条は、保険契約者又は被保険者が酒に酔って正常な運転ができないおそれがある状態で被保険自動車を運転している場合に生じた損害に対しては保険金を支払わない旨規定しているところ、原告は、本件事故当時、「酒に酔って……正常な運転ができないおそれがある状態」で、被保険車両を運転して、本件事故を発生させたものである。ところで、「酒に酔って……正常な運転ができないおそれがある状態」とは、身体に保有するアルコールの程度如何に拘わらず、酒に酔っていたため、道路における危険を防止し交通の安全を図るために、運転者に課せられている相当の注意義務を守ることができる身体的又は精神的状態の下での運転をすることができないおそれがある状態をいい、呼気アルコール濃度が道路交通法上の送致基準である呼気一リットル中〇・二五ミリグラムに達していたか否かは関係ない。もとより、道路交通法上の「酒酔い運転」と同義ではない。
原告は、被保険車両を運転して交差点を直進しながら、通過の途中で、突然左折を思い立って左折をしたこと、しかしながら、原告は、事故後の被告側調査会社の事情聴取に対し、左折した理由を説明できなかったこと、原告は、信号待ちで停車していた対向車線上の被害車両に向かって突進し、正面衝突させたことなどに鑑み、その言動の説明の付かない不可解さや事故の態様の異常性などからみて、本件事故当時、原告が「酒に酔って……正常な運転ができないおそれがある状態」にあったことは明らかである。
(二) 原告の主張
車両条項第四条の「酒に酔って……正常な運転ができないおそれがある状態」とは、道路交通法上の「酒酔い運転」(同法一一七条の二第一号は、「アルコールの影響により正常な運転ができないおそれがある状態」をいうとして、一定以上の「酒気帯び運転」と明確に区別している。)とほぼ同じ文言を用いているのであるから、基本的に「酒酔い運転」と同義と解すべきである。
原告が左折をしようとしたが、曲がりきれず、被保険車両を被害車両に衝突させた点は、原告が咄嗟に左折すべく思い立ったため、曲がりきれなかったに過ぎず、この点が事故態様として、特に特異なものであったということはできない。
原告は、事故前日の平成一一年三月三日午後五時ころから五時四〇分ころまでの間、会社の同僚と夕食をとった際に、生ビール中ジョッキ一杯と二人で日本酒二合(原告は一合弱)程度飲んだものの、その後、酔い冷ましのため、会社の駐車場で、同四日午前〇時三〇分過ぎまで仮眠し、その後、帰宅のため、被保険車両を運転したもので、飲酒後本件事故まで約七時間をも経過していた。しかも、原告は、本件事故後、直ちに警察に事故を申告し、警察官から呼気アルコール濃度検査を受けたが、呼気一リットル中〇・二〇ミリグラムを保有していたに過ぎず、〇・二五ミリグラム以上の基準に達していなかった。そのため、原告は、本件事故につき、刑事処分のみならず、行政処分さえも受けなかった。
原告は、事故直後から数日間、事故現場の交差点で左折を思い立った理由を思い出せなかったが、これは、事故を起こした事態の大きさに驚愕するあまり思い出せなかったに過ぎない。
したがって、原告は、本件事故当時、車両条項第四条所定の「酒に酔って……正常な運転ができないおそれがある状態」では到底なかった。
第三当裁判所の判断
一 前記争いのない事実のとおり、請求原因事実は当事者間に争いがない。
二 そこで、被告主張の抗弁(車両条項第四条該当の主張)について、判断する。
車両条項第四条にいう「酒に酔って……正常な運転ができないおそれがある状態」とは、その約款が設けられた趣旨に鑑み、酒に酔っていたため、正常な判断能力に影響があり、それ故に、運転者に課せられた注意義務に従った運転ができないおそれがある状態にあったことをいうと解すべきである。したがって、道路交通法上の「酒酔い運転」の定義にいう「アルコールの影響により正常な運転ができないおそれのある状態」(同法一一七条の二第一号)と基本的に同義であると解すべきである。そして、運転者がかかる状態にあったか否かは、その内心の心理状態等に遡ってこれを探ることができない以上、事故の態様ないし経過、運転者の事故前後の状況、特に運転者の事故前の飲酒量、飲酒後の時間の経過、運転者の事故直後の言動、運転者の酒に対する抵抗力の強弱、健康状態等の外形的な要素ないし事情を総合して判断すべきである。その結果、事故の態様ないし経過等に説明の付かない異常性が認められるなど、運転時における正常な判断能力に疑問がある状態にあったと認められるときは、「酒に酔って……正常な運転ができないおそれがある状態」にあったというべきである。なお、運転者が「酒に酔って……正常な運転ができないおそれがある状態」にあるか否かの判断は、本来、前記の事情を下に具体的・個別的になされるべきものであるから、呼気アルコール濃度検査が実施されている場合に、アルコール濃度が道路交通法上の「酒気帯び運転」の基準である呼気一リットル中〇・二五ミリグラムに達していないからといって、当然には「酒に酔って……正常な運転ができないおそれがある状態」になかったとはいえないというべきである(アルコールに対し著しく弱い者にあっては、その基準に達しないアルコール濃度の場合でも、判断能力を欠き、正常な運転ができなくなることがある。)。もっとも、道路交通法が一定以上の「酒気帯び運転」に限定して、刑事罰を課している趣旨(この基準以上のアルコール濃度の場合は、一般的・累計的判断として、運転に危険を伴うので、かかる状態にある運転者の運転は容認できないとの価値判断が前提となっているものと考えられる。したがって、それに満たないアルコール濃度の場合、一応危険はないとされていると判断される。)に鑑み、その濃度が呼気一リットル中〇・二五ミリグラムに満たない場合は、一般には「酒に酔って……正常な運転ができないおそれがある状態」であったとはいえないというべきである。
そこで、以下において、原告が本件事故当時、「酒に酔って……正常な運転ができないおそれがある状態」であったか否かについて検討する。
前記争いのない事実及び証拠(甲三、乙六)並びに弁論の全趣旨によれば、原告は、東から西に向けて被保険車両を運転して、前記の事故発生場所の交差点に青信号で進入したが、その後、急に左折しようとしたため、曲がりきれず、交差点中央部分で東側に右折しようとして信号待ちしていた被害車両の正面部分に衝突したことが認められる。
ところで、上記左折の理由に関し、証拠(乙六)によれば、原告は、事故の二日後である平成一一年三月六日になされた被告側調査会社の事情聴取に対し、交差点に進入後、左折したものであるが、その理由はわからないと述べたことが認められる。この点だけからすれば、原告は、本件事故当時及びその直後、混乱し、飲酒の影響が原告の判断能力に及ぶ状態にあったと窺わせなくもない。しかしながら、同証拠(乙六)によれば、原告は、その際の事情聴取に際し、左折をした「理由は分からない。」というより、「曲がろうとする理由はあったと思うが、事故のせいで思い出せない。」と述べていることが認められる。すなわち、原告は、左折の理由が存していたことを否定していたわけではなく、事故のせいでそれが思い出せないと説明していたのであって、この点は、原告が急に左折を思い立ったためや、事故後の混乱のために、定かに思い出さないという事態が生じることは、通常あり得ることとして、原告の前記説明も決して不自然なものではないということができる。そして、その左折の理由及びそれを思い出した契機につき、原告が甲三において、平成一一年三月八日、事故後初めて出社した際、ある社員から「ちゃんと門を閉めて帰らなあかんで」と注意されたことを契機に、会社の門を閉め忘れたのではないかと不安になって、確認のため、会社に戻ろうとして左折したものであることを思い出したというのも、あながち不自然なものではない。
なお、そもそも、前記のとおり原告が突如左折を試みたことも、取り立てて、異常であるとまでいうことができないので、この点から、飲酒の影響が原告の判断能力に及んでいたと断定することはできない。したがって、この点につき、原告の行為態様が不自然であるということはできない。
また、前記のとおり、原告は、曲がりきれず、交差点中央部分で東側に右折しようとして信号待ちしていた被害車両の正面部分に衝突したという点も、急遽左折を思い立ったことから、曲がりきれなかったに過ぎないとも考えられるので、この点から、本件事故の態様が異常なものであったと断定することはできない。
証拠(甲三、乙六)によれば、原告は、事故前日の平成一一年三月三日午後五時ころから五時四〇分ころまでの間、会社の同僚と夕食をとった際に、生ビール中ジョッキ一杯と二人で日本酒二合(原告は一合弱)程度飲んだものの、その後、酔い冷ましのため、会社の駐車場で、事故当日の同月四日午前〇時三〇分過ぎまで仮眠し、その後、帰宅のため、被保険車両を運転したものであるが、飲酒後本件事故まで約七時間をも経過していたことが認められる。もっとも、原告の飲酒後、運転に至るまでの経過に関する事実は、原告のみの陳述に係るものであって、裏付けが十分でないともいえるが、証拠(乙五)によれば、事故直後の原告の呼気アルコール濃度検査結果によれば、原告のアルコール濃度は、呼気一リットル中〇・二〇ミリグラムに過ぎず、いまだ道路交通法上の「酒気帯び運転」の基準にさえ達していなかったことが認められるので、このことを合わせ考えるとき、前記の、原告の飲酒後本件事故に至るまでの経過に関する事実の陳述と矛盾がなく、これを措信して、前記のとおり認定することに差し支えはない。そして、証拠(甲二、乙六)及び弁論の全趣旨によれば、原告は、本件事故後、直ちに警察に事故を申告し、飲酒の事実を認めた上、素直に警察官から呼気アルコール濃度検査を受けるなどし、その他本件事故直後の言動にも、酒酔いを窺わせるような不自然なものは存しなかったことが認められ、加えて、前記のとおり、本件事故の経過及び本件事故の態様等に特段の異常性が認められない以上、原告が前記のアルコール濃度を体内に保有していたことは、原告の運転時における判断能力に特段の影響を与えていたとはいえないというべきである。なお、事故現場に臨場した警察官が原告につき、酒の臭いがしたこと、目が充血していたことを現認したこと(乙五)や、被害車両の運転手等が原告につき、お酒をだいぶ飲んでいるなと話していたこと(乙七)が認められるが、この点は、必ずしもその詳細を伝えるものではないし、また、原告が前記のとおり飲酒をしていた以上、そうした印象を与えることは当然あり得るので、この点は、取り立てて、原告の供述等と矛盾するものではなく、かかる事実が認められるからといって、前記認定の飲酒が原告の運転時の判断能力に影響を与える程度のものであったと断ずることはできない。
その他、本件において、原告が酒に対する抵抗力が特に弱いとか、事故当時の健康状態が特にすぐれなかった等の事実を認める証拠はない。
以上によれば、原告が本件事故当時、「酒に酔って……正常な運転ができないおそれがある状態」であったということはできない。したがって、被告の抗弁は理由がない。
三 以上の次第で、原告の請求は、理由がある。
よって、主文のとおり判決する。
(裁判官 中路義彦)